私たちの想い

一番大切なものは「あの人の元気」

大切なあの人がいつまでも元気でいてくれること。
それこそが何よりも自分にとってうれしいこと…。
けれどもそう気づくのに人は時間がかかります。
ついつい今の健康を過信してしまい、好ましくない食生活や生活習慣を見直すことを忘れてしまいます。
でも、手軽に身体にいいものを取り込むことができたら、今からでも後々の後悔を避けることができるかもしれません。
そのためにも、どうぞ、博淑屋の「参鶏湯」を日々の食生活の習慣に。
あなたは「参鶏湯」(サムゲタン)と聞いて、どう思われますか?

こんにちは。博淑屋代表の井口佐矢香です。
みなさんが思い浮かべる「参鶏湯」のイメージ。それはやはり強壮・美容・健康といった言葉たちだと思います。
ご存知のように「参鶏湯」は、韓国の長い歴史の中で美味しい上に滋養に富んだスープとして人々に愛され、珍重されてきました。
私はそんな「参鶏湯」を簡単に調理できるよう厳しい目で選び抜いた漢方を韓国で買い付け、パック詰めした「参鶏湯の素」をお届けしています。
ところでなぜ、私が「参鶏湯」をみなさんにお届けしたいと思うようになったのか、それにはある理由があります。

2014年、父が他界しました。病名は「肺がん」でした。
病気が発覚したときにはすでに転移もあり、手遅れでした。
「余命3ヶ月」これがそのときにお医者さんから宣告された父の寿命でした。

母から受け継いだ「参鶏湯」の味

そんな父に、何とか元気になってもらいたい、という一心で私は母から教えてもらったレシピで「参鶏湯」を病室に届けました。病院食嫌いで偏食だった父は、さらに食欲不振になっていました。それでも「参鶏湯」だけはよろこんで食べてくれました。
顔をほころばせ、うれしそうに「参鶏湯」をほおばる父の顔を今でもはっきりと覚えています。そして気づけば「余命3ヶ月」と言われていた父は何と「7年11ヶ月」生きてくれました。

もちろん「参鶏湯」が劇的に効いたわけではない、とは思っています。
ただ、食に対する欲望が全く失せてしまった父が見せた「食への執念」
それこそが「生きる執念」にもつながったのではないか、と私は信じています。
これはきっと、周りの方々からの手厚い看護という前提があったからこその奇跡でしょう。
それでも消えかけた「命の灯火」を長らえることができたことに「参鶏湯」が何らかの役割は果たしてくれたに違いないと思っています。
あの人の、そして、じぶんの元気のためにお試し下さい。
あなたが「参鶏湯」を食べたい、つくりたい、と思うときはどんなときでしょうか?
疲れているとき、お肌の調子がすぐれないとき、風邪を引いて身体を温めたいとき…。
そんなちょっとした身体の変調を感じたときはもちろん、美味しい鶏料理を食べたい、と思ったらどうぞ、博淑屋の「参鶏湯」を思い出して下さい。
みなさまの健やかな毎日の、わずかなお手伝いでもできましたら、とても嬉しく思います。

博淑屋 代表 井口佐矢香